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プロレス界一、味にこだわる、宮戸味徳(みや・とみとく)こと、
宮戸優光が、秘伝レシピやおすすめラーメン店、レストランなどを紹介。
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プロレス・格闘技についてのコラム、観戦記
も発表していきます!


 番外編 「PRIDEミドル級GP」田村×吉田について
「別冊GON!」vol.3 古今東西・格闘技おれ好み観戦記より転載
up date 2003.10.15
去る8月10日、さいたまスーパーアリーナにおいて
PRIDEミドル級GPが開戦し、
四万人の大観衆が見守る中、一回戦最大の注目カード、
オリンピック柔道金メダリスト・吉田秀彦vs
UWFの申し子・田村潔司の決戦が行われた。

試合数日前、田村選手から私にセコンドの依頼があり、
私はこの決戦にセコンドとして立ち会う事となった。
しかし……このセコンドがまずかったのだ。
試合は、読者の皆さまも、様々な報道で既にご承知と思うが、
九割方、田村選手のペースで進んだ中、
吉田選手が一瞬のタイミングでチャンスをものにし、
道着を使った袖車絞めで勝利を飾った。

負けてしまった試合で今さら何を言っても仕方ないのだが、
実はあの試合、私はセコンドとして“大ドジ”をやってしまったのだ。
結局それが、田村選手の敗因につながってしまったのは間違いない。

それは、試合開始間もなくの事だった。
田村選手が試合開始直後、パンチを吉田選手の顔面にヒットさせ、
あわやそのまま勝利という場面があったのだが、
そこで早々に勝利を確信し、ストップをかけてしまったのが
何を隠そうセコンドの私なのだ。

実はあの時、田村選手はめずらしく異常にエキサイトしていたのだが、
その表情を見て私は
「落ち着いて!落ち着いて!」
となだめてしまったのだ。

まだキャリアの浅い吉田選手にとって、
顔面にパンチをもらいダウンを喫してしまった状況というのは、
彼がどんなに優れた選手であっても
少なからずパニック状態であった事は間違いない。
一気呵成に行くべき大チャンスであり、
そこに水を差すような事を言うべきではなかった。

田村選手は、ある種天才タイプのレスラーである。
あれが並の選手へのアドバイスだとしたら、
時に間違っていたとも言えないのだが、
あの試合においては全く余計なお世話になってしまった。

“あの時”に一気に行っていれば……。
九分九厘勝っていた試合を私が落とさせてしまった。
私は過去味わった事のないほどの悔しさと情けない気持ちで
会場を後にした。

そんな気持ちに追い討ちをかけられたのが、
試合後の一部マスコミやファンの反応だった。
「田村選手はよくやった」
「負けたが評価が上がった」
そういった記事や声を聞き、
私の悔しさは、怒りも伴って10倍になった。
そんな評価がプロレス誌やプロレスファンから上がっている事が、
私には信じられなかった。

“負けて評価が上がる”!?
それっていったいどういう意味だろう?
負けたら批判されるのが当たり前だ。
そういう人達は、
プロレスや田村選手を一体どういう目で見ていたのだろう。

要するに田村選手があっさり負けると思っていたのに吉田選手を追いつめ、
あわや勝利してしまいそうでビックリした。
テストで0点しかとれないと思っていた人間が60点をとって驚いた。
そういう人達は、結局そういう事を言いたいのだと思う。

ふざけるな!
私から言わせれば、そんなのプロレスマスコミでもなければ
プロレスファンでもない。
なめるな!!と言いたい。
田村選手はいつだって100点をとれる人間だし、
相手が金メダリストだろうと、私も、そして田村選手自身だって
全く負けるなんて思っちゃいなかった。
それを、そんなバカにされた見方をされていた事が本当に悔しかった。
負けたら叩かれて当然である。
セコンドの私も責められるのが当たり前だ。

いささか興奮してしまったが、
実際、吉田選手は医者から手術を勧められたほど(全治2ヶ月)
田村選手のキックによって膝を痛め付けられていた。
もちろんそんな状態の中で逆転の勝利をものにした吉田選手の
精神力や勝負強さは確かに素晴らしいと思う。

しかし、振り返ればあの試合はどう考えても勝っていたと思う。
負け惜しみととられても仕方がないが、私としては、
田村vs 吉田の再戦を心から望みたい。
PRIDEミドル級GP決勝の日も近く、
そこで吉田選手が敗れてしまえば、それも夢と消えてしまうが……。

いずれにしても、「金メダルだから強い」ではあまりにも夢がない。
プロの戦士たちよ、凄さを見せてくれ!!

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