1963年6月4日生。神奈川県出身。 1975年、アントニオ猪木vsビル・ロビンソンを生観戦して感激する。 中学生時代は、柔道部に在籍。
1977年、新日本プロレスの道場で、前田明(現・日明)と出会い、個人的な交流をつづける。 1981年、前田明のすすめで、短期合宿をしに大阪へ。
1983年、佐山聡と合流。内弟子となる。「スーパータイガージム」インストラクターを務める。 1985年、9月6日、第1次UWF、vs星名治 戦(後楽園ホール)でデビュー。
その後、第1次UWFが崩壊、新日本プロレス参戦する。 1988年、第2次UWFの旗揚げに参加。前田、高田らと行動を共にする。 1991年、第2次UWF解散後は、UWFインターナショナルの旗揚げに参加。この団体においては、ファイターとしてより、積極的な政策を次々と実施していった「Uインターの頭脳」として、舵取り役・参謀役として活躍。
1994年、一億円を賭けたトーナメントを開催。 1995年9月、新日本との提携路線に反発し、退社。 しばらく表舞台から姿を消していたが、97年10月11、東京ドームで行われた「PRIDE.1」のメインイベントに、高田延彦のセコンドとして登場。ファンを驚かせる。
1999年、ランカシャーレスリングのジム『スネークピットジャパン』を設立。コーチとして、ビル・ロビンソンを招く。 2002年3月、スネークピットジャパン名誉顧問のルー・テーズを招く。
2003年7月、著書「U.W.F.最強の真実」が発売される。 2007年10月、同書の加筆・修正・再編集された文庫版が発売。そして、
2008年9月、アントニオ猪木率いるIGF(イノキ・ゲノム・フェデレーション)と業務提携したのを機に、IGF現場部長に就任。
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